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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)295号 判決 1960年10月24日

原告 山本喜吉

被告 国

訴訟代理人 藤井俊彦 外一名

主文

原告の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告は原告に対し別紙目録記載の供託金の払渡をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のように述べた。

「一、原告は昭和三二年一二月一六日、訴外池田勇に対し金一五、二〇〇円、訴外段中美恵子に対し金一六、八〇〇円、訴外中野太嘉治に対し金八、〇〇〇円、訴外木村きみ子に対し金一一、〇〇〇円の地代金の支払を求めて、大阪簡易裁判所に訴を提起した。この訴訟は同庁昭和三二年(ハ)第二一五二号事件として審理されることになつたところ、右訴外人等は昭和三三年二月一四日、原告、訴外吉田勝太郎、訴外酒井信雄の三名のうちいずれが債権者であるか確定できないものとして、右地代金相当額の金員を大阪法務局に供託した。

二、原告の右訴外人等に対する地代請求事件で原告は勝訴の判決を受けたので、原告はその判決の執行力ある正本に基づいて、右訴外人等に対し、前項記載の供託金の取戻請求権につき差押および転付命令を申請して、昭和三三年八月一日、大阪地方裁判所同年(ル)第四五号、同年(ヲ)第四五〇号債権差押および転付命令の発布を受け、その正本は右訴外人等および大阪法務局に送達された。そこで原告は右供託金の取戻請求権の転付権者として大阪法務局に対し供託金の取戻請求をしたところ、同局は原告が供託書を所持しないから供託者および他の被供託者に対して供託書引渡の催告等をするよう要求したので原告はその旨催告をしたが供託書の引渡を受けられなかつた。

原告はさらに昭和三三年九月中に大阪法務局に対し右供託金の取戻を請求したが、同局は供託者より異議があると称して払渡請求に応じない。

三、しかしながら、民法第四九六条によれば、債権者が供託を受諾せず、または供託を有効と宣告した判決が確定しない間は弁済者は供託物を取り戻すことができるのであるから弁済者すなわち供託者の債権者が債権の転付命令により右取戻請求権の転付を受け、しかも本供託について供託が有効であるとの判決がない以上、大阪法務局は原告に対しこれを払い渡す義務がある。

四、被告は「被供託者の一人である訴外吉田勝次郎から本件供託金は全部同人が払渡を受けるべきものであるという申出があつたから、同人が供託を受諾したものと解すべきである」と主張するが、誤つた解釈である。本件供託の被供託者は原告、訴外吉田勝次郎、訴外杉田千代子相続財産管理債権者の三名である。ゆえに供託を受諾するためには他の被供託者に対する判決または他の被供託者の同意がなければならないのである。単に自分が供託金の払渡を受けるべき者であるという申出があつただけで供託金の払渡を受けうる権利者であると解することは被告の独断である。のみならず、原告と供託者との間の訴訟においては原告勝訴の判決があり、その理由中で供託者の、債権者不確定としてなした供託は無効であると判断されており、この判決の仮執行により原告は本件供託金取戻請求権につき差押および転付命令を得たものであり、原告は民法第四九六条の規定により供託者の転付権者として供託金の取戻を請求できることは明らかである。したがつてこの場合、供託官吏は訴外吉田勝次郎が異議を申し立てゝもこれを却下して原告の供託金払渡請求を認可しなければならないのである。」

被告の本案前の主張に対しては次のように述べた。

「供託法第一条の三には「供託官吏の処分を不当とする者は監督法務局又は地方法務局の長に異議の申立を為すことを得」とあつて、必らずしも異議の申立をなすことを要するものではない。したがつて異議の申立をなさなければ訴を提起することができないものではない。本件は大阪法務局のなす取扱であるから法務局へ異議を申し立て無用の手続を履践するより直接裁判所の判断を受けるのが相当である。」

証拠として甲第一号証、第二号証を提出した。

被告は本案前の答弁として主文と同旨の判決を求め、その理由として次のように述べた。

「本件訴は、原告が民法第四九六条第一項を理由として供託物の取戻を請求するものである。しかしながら、供託物の取戻は供託物取扱規則の定めるところに従い、供託物取戻請求書を供託所へ提出してこれをなすべきもので(同法第八条同規則第六条)、その取戻請求に対する供託官吏の処分を不当とする者は監督法務局または地方法務局の長に異議の申立をしてその救済を求めるべきものである(供託法第一条の三)。本件のように異議の申立を経由しないで、被告に対して直接供託金の取戻を請求する訴は不適法である。」

次に本案の答弁として「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のように述べた。

「一、原告主張の一の事実のうち、原告主張の訴外人等四名が昭和三三年二月一四日に、その主張の金員をその主張の理由で大阪法務局へ供託したこと、二の事実のうち、原告主張の債権差押、転付命令が大阪法務局へ送達されたこと、原告が主張のような取戻請求をしたこと、および原告に対し供託書の引渡催告方を求めたこと、原告がその主張の日に大阪法務局に対し供託金取戻請求をしたが、同法務局所属の供託官吏がこの請求に応じなかつたことはいずれも認める。その余の事実は知らない。

二、大阪法務局所属の供託官吏は昭和三三年一二月二日に原告主張の各供託物取戻請求を却下したが、その理由は次のとおりである。

(一) (供託の経緯)本件供託金は、いずれも昭和三二年二月一日に原告主張の供託者が、債権者を確知することができないとの理由で原告または吉田勝次郎または杉田千代松相続財産管理債権者を被供託者としてなしたものである。

(二) (利害関係人からの異議申立)原告は債権差押、転付命令によつて本件供託金の取戻請求権を取得したとして、昭和三三年九月二九日大阪法務局に供託金の取戻請求をしたが、この請求には供託物受入の記載ある供託書が添付されていなかつたので、原告にその振出を求めたところ(供託物取扱規則第六条)、原告はこれを提出することができなかつた。それで供託官吏は供託物取扱規則第一〇条にしたがい、利害関係人に対して供託物の下戻しに異議があるときは同年一〇月二〇日までにその理由を記載した書面を提出するよう通知した。この通知に応じて同月一四日に被供託者の一人である吉田勝次郎から右供託金は全部同人が払渡を受けるべきものであるとの申出がなされた。右申出は同人が供託を受諾するものと解すべきであるから、供託官吏は民法第四九六条により原告の取戻請求は許されないものとして却下したのである。」

理由

本件訴が適法であるかどうかを検討する。そのためには供託の法律関係とその性質(それが公法上の法律関係であるか、あるいは私法上の法律関係であるか)を考察しなければならない。

一、問題考察の基本的態度

右に考察を要するとした供託の法律関係とは、供託のなされる種々の原因にかゝわらず、およそ一般に供託がなされる場合に、供託所と供託者および被供託者との間に生ずる、供託それ自体の内容たる法律関係をいう。供託のなされる原因は、民法、商法、民事訴訟法をはじめとして、他の多くの法令に規定されていて種々雑多であり、したがつてまた各場合に応じて供託を一の法律要件として法令がこれに付する法律効果も種々雑多である。たとえば民法第四九四条以下に規定されるいわゆる弁済代用の供託は債務の消滅という私法上の法律効果を付されるし、たとえば民事訴訟法第五一三条に規定されるいわゆる担保のための供託は強制執行開始の一要件を充足するという訴訟法上の、すなわち公法上の法律効果を付される。しかし、供託の法律関係、すなわち供託所と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係と、一の法律要件としての供託とその法律効果との関係とは、截然と区別しなければならない。供託の法律関係は、一般に供託がなされる場合に供託所と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係であつて、供託の種類に関係なく共通であるのに対し、ある特定の供託がなされた場合に、供託を一の法律要件としてどのような法律効果が生ずるかという問題は供託者と被供託者との関係で生ずる法律効果の問題であつて供託の種類に応じて異なる。この両者を混同し、供託がなされた場合に、供託を一の法律要件としてどのような法律効果が生ずるかということに関連して供託の法律関係、すなわち供託所と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係を説明しようとすることは、供託があつたことによつて生ずる効果がまさに供託の目的としては本質的、窮極的なものであるとしても、供託所と供託者および被供託者との間に生ずる供託それ自体の内容としての法律関係の考察態度としては誤つた態度であるといわなければならない。これは、あたかも、債権の満足を得るために訴訟が提起され、原告が勝訴の確定判決を得て強制執行をなし、その結果債権の満足を得ようとする場合について、裁判所と原告および被告との間に生ずる法律関係(訴訟法上の、すなわち公法上の法律関係である)を説明するのに、訴訟の結果原告が債権の満足を得る、すなわち債権の消滅の効果(私法上の効果であり、これがまさに訴訟の本質的、窮極的な目的である)が生ずることと関連して裁判所と原告および被告との間に生ずる法律関係を説明しようとするに等しい。

以上のことは当然のことゝすら考えられるのであるが、従来供託の本質、その法律関係を論ずるにあたつて意外に等閑視されていた観があるので、本論に入るに先き立ちこのことを明確にしておく必要がある。

供託の法律関係は、供託を一の法律要件として生ずる法律効果の問題とは関係なく、したがつて種々雑多な供託の場合にかかわらず、およそ一般に供託がなされる場合の法律関係として、すなわち純粋に供託の手続面の問題として考察しなければならない。具体的にこれを明らかにするためには供託の一般法ともいうべき供託法、その他供託規則(あるいは既に廃止されたが供託規則の以前に施行されていた供託物取扱規則)など附属の関係諸法令の規定(これが一般に供託のなされる場合、供託所と供託者および被供託者との間の法律関係を規整するのである)を検討しなければならない。そこで以下項を改めて本論に入る。

二、供託の法律関係とその性質

(一)  供託の法律関係について、供託法等の規定するところをまず見よう。

(1)  供託は原則として国家機関が掌る。(イ)金銭および有価証券の供託は法務局、地方法務局、それらの支局、法務大臣の指定する出張所が供託所としてこれを管轄する(供託法-以下単に法という-第一条)。(ロ)右以外の動産の供託は法務大臣の指定する倉庫業者、銀行がこれを管轄する。(ハ)弁済代用の供託の場合、金銭および有価証券以外の動産の供託は裁判所の指定する供託所もまたこれを管轄する(民法第四九五条第二項、非訟事件手続法第八一条)。(ニ)弁済代用の供託の場合、金銭および有価証券以外の動産で蔵置の方法による管理の困難なもの(たとえば家畜などの場合が考えられる)、および不動産の供託は、裁判所の選任する供託物保管者がこれを管轄する(前記各法条)。(ホ)民事訴訟法強制執行編の規定に従い、訴訟上の保証または執行防止の目的をもつてする金銭または有価証券の供託は、供託者の普通裁判籍を有する地の地方裁判所または執行裁判所もまたこれを管轄する(民事訴訟法第五一三条。たゞしこれは実際には行なわれていないようである)。

右のように供託手続を主宰する機関(以下広義の供託所ということがある)は種々あるが、実生活上供託の大部分を占める金銭および有価証券の供託は最も一般的なもので、したがつて実生活上に果す役割も極めて重要である。そこでこのような供託を掌る機関としては、組織法をもつて設置される固有の供託機関、すなわち法務局、地方法務局、それらの支局、法務大臣の指定する出張所があてられている(以下これを狭義の供託所ということがある)。すなわち法務省設置法、法務局および地方法務局組織規程、法務局および地方法務局の支局および出張所設置規則、供託事務を取扱う出張所を指定する告示(昭和二八年法務省告示第二二八号)等がその名称、位置、内部組織等を規定する狭義の供託所を構成する者は供託官吏である(供託官吏は法務局、地方法務局、その支局、出張所の法務事務官であつて、法務局長、地方法務局長の指定した者である-供託法一条の二)。

狭義の供託所が国家機関であることはいうまでもない。前に挙げた(ホ)の場合の地方裁判所もしくは執行裁判所についても同様である。その余の、固有の組織法をもたない供託機関もあるが、こゝではたゞ、実生活上最も一般的な金銭および有価証券の供託が国家機関である供託所(狭義)の管轄するところであること、すなわち供託は原則として(実生活上大部分の場合)国家機関が掌ることを指摘すれば足りる。

(2)  右のように、供託の最も一般的なものである金銭および有価証券の供託については、供託所(狭義の)における供託手続について定める供託法、供託規則等の法令がある。その規定するところから供託の手続を見よう。

(イ) 供託の事務は供託官吏が取り扱う(法第一条の二)

(ロ) 供託官吏は法規の定めるところに従い、供託の申請、代供託または附属供託の申立が適法(形式的適法で足りる。実体法上供託の原因が具備するかどうかは問わない)であると認めるときは供託物を受理しなければならない(法第二条、規則第一八条、第二〇条二項、第二一条四項。なお取扱規則第三条一項、第三条の二、二項、第四条四項)し、また供託を受理すべきでないと認めるとき、代供託、附属供託の申立を理由がないと認めるときはこれを却下しなければならない(規則第三八条)。すなわち、供託官吏は供託等の申請が適法(形式的に)であると認めるのにこれを受理しないことはできないし、反面これが不適法であるのにこれを受理することはできない。供託官吏は法の定めるところにき束され、法の定めるとおりに行動しなければならない。自己の自由な意思に従つて、受理を欲するときに供託を受理し、欲しないときには供託の申請を却下する、というような自由はない。

(ハ) 供託官吏は、法規の定めるところに従い、供託物の還付あるいは取戻請求が適法であるときはこれを認可しなければならない(法第八条、規則第二八条、なお取扱規則第八条、第九条)し、これらの請求が理由がないと認めるときはこれを却下しなければならない(規則第三八条)。

(ニ) 供託官吏の処分を不当とする者は供託所に異議申立書を提出して、監督法務局または地方法務局の長に異議の申立をすることができる(法第一条の三)。供託官吏は、異議が理由があると認めるときは処分を変更しなければならない。異議が理由がないと認めるときは意見を付して異議申立書を監督法務局または地方法務局の長に送付しなければならない(法第一条の五)。法務局または地方法務局の長は異議につき決定をしなければならず、この場合、異議が理由があるとするときは供託官吏に相当の処分を命ずることを要する(法第一条の六)。

(3)  法務大臣の指定する倉庫業者、銀行における供託手続については供託法第六条、これに基づく司法省告示(明治三三年第三九号供託法第六条により供託書式を定める件)、同省令(大正一一年第四号、銀行においてなす供託法第一条の供託事務取扱規則)があるのみで供託手続についての詳細の規定はない。弁済代用の供託の場合の、裁判所の指定する供託所における供託手続については法令の規定はなく、また裁判所の選任する保管者における供託手続についても非訟事件手続法第八二条において、民法第六五八条一項、第六五九条ないし六六一条、第六六四条の規定を準用して保管者の供託物管理上の義務について明らかにするほかは、供託手続について法令の規定がない。

(二)  供託の法律関係を考察する手がかりともなるべき、供託手続に関する規定は右のようにきわめて少ない。それも一応法令が整備されているのは狭義の供託所における供託手続のみであるといつてよい。その他の供託所における供託手続についてはこれを規定する法令にほとんど見るべきものなく、その供託手続もこゝで明確にすることはできない。たゞ、右(一)(1) に述べたように供託の最も一般的な、すなわち実生活上大部分を占めるものは金銭および有価証券の供託であり、これについては供託所の組織、供託所における供託手続について一応の規定がなされていることは右に見たとおりである。よつて、ここでは狭義の供託所における供託手続を検討することによつて、その法律関係を考察するに止める。

先に見たように、供託所(狭義の)は国家機関であり、供託の事務は供託官吏が取り扱う。供託物の受入、保管は、供託者の供託申請行為と、これに対する供託官吏の受理行為によつて始まる。供託者と供託官吏(供託所)との関係は、当事者の自由意思に基づく合意の行なわれる関係ではない。供託官吏は自由意思の命ずるままに供託者の申請を受理し、または受理しない自由を有するものではない。供託官吏はいやしくも供託申請が適法(形式的に)である限り必らず供託を受理しなければならないが、他面申請が不適法であれば一方的に申請を却下することができ、しなければならない。被供託者から供託物の還付請求のあつたとき、供託者から供託物の取戻請求のあつたときも同様である。供託官吏は一面において法の強いき束を受けながら、他面において法律関係(供託という、物の保管を中心とする供託所と供託者および被供託者の間の法律関係)の形成実現あるいはその消滅の過程において優越的な力を保障されているのである。供託官吏(供託所)と供託者および被供託者との間の関係は、対等私人相互の関係としてその自主自律に委ねられているのではない。そして供託官吏の処分に対し、監督行政庁たる法務局長、あるいは地方法務局長に異議の申立が許されるのであり、これら監督官庁は、異議が理由があるときは供託官吏に相当な処分を命ずるのである。

こゝで、ひるがえつて、右のように国家機関たる供託所において、供託手続が主宰されることの意味を考えなければならない。冒頭に述べたように、供託には種々の種類があり、それぞれの供託に応じてその法律効果も異なる。これは、もとより、法が供託によつて実現しようとした目的に応じた差異である。たとえば弁済代用の供託は、それによつて請求権の満足をはかろうとするものであり(したがつて債務の消滅の効果が付される)、強制執行の担保の供託は、それによつて、万が一誤つた強制執行がなされた場合、相手方の蒙る損害を補償しうるようにする目的をもつといえよう。さらに例を挙げるならば、公職選挙法による立候補のための供託は、これによつて、いたずらにする立候補を防止し、選挙の適正妥当な実行を可能ならしめようとするものである。このように、種々の供託に応じてその目的とされるところは異なるがいずれにしても、右のような種々の場合に供託の果す役割は大きい。右に例をあげたところは、要するに法律秩序の維持安定という目的の具体的な場合の、具体的な表現にほかならないのであり、一般的な表現をもつていえば、供託は広く法律秩序の維持安定のために、極めて大きな役割を背負つているといつてよい。それゆえに、供託につき、なんびとでも供託をしようとするときに供託ができるように、そしてまた、供託が誤りなく、正確になされるように制度を整備することは国家にとつて重要な課題であることが肯認できよう。国家は供託制度の完全な運営をはかることによつて、供託の目的をより完全に実現できるようにし、もつて法律秩序の維持、安定をはかるという行政目的を有し、この行政目的の実現のため狭義の供託所における供託手続が定められたと考えられるのである。

このように見てくると、供託官吏が、供託の申請が適法(形式的に)である限り供託を受理しなければならず、供託物の還付あるいは取戻請求のあつた場合、これを認可しなければならないこと、反面これらが不適法であれば申請を却下しなければならないこと、すなわち供託官吏は法にき束されるのであつて、自由意思の命ずるまゝに、自己の欲すると欲しないとによつて、行為することが許されないことは当然でしかない。また、供託手続が当事者の申請とこれに対する供託官吏の受理、認可、あるいは却下という形で行なわれること、すなわち供託官吏と当事者との関係が、たとえば契約の場合のように対等の関係というよりも、むしろ供託官吏に優越的な地位が認められているというべきものであることも抵抗なく理解できるし、供託官吏の処分に対し、当事者から監督行政庁に異議の申立ができる関係も容易に説明しうることになるのである。

以上説明したとおりであるから、供託(狭義の供託所における)の法律関係は、供託制度の完全な運営をはかることによつて法律秩序の維持、安定を期するという行政目的実現のために、行政権の主体たる国家が供託手続を主宰し、行政権の主体(この場合国家機関としての供託官吏として現われる)に優越的な地位が認められているという点で、公法上の法律関係であると解すべきである。そして、供託が物の保管を中心として把握される点において(法第一条)、供託の法律関係は公法上の寄託関係であるということができる。

(三)  残された若干の問題の検討

(1)  供託を一の法律要件として生ずる法律効果の問題について

供託がなされる場合、供託所(広義の)と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係が供託手続の法律関係であるとすれば、供託を一の法律要件として、供託者と被供託者との間に生ずる法律効果の場合は、あたかも供託の実体法上の法律関係であると呼んでよいであろう(たとえば民事訴訟法第五一三条の担保のための供託の場合に、それによつて強制執行開始要件の一を充足するという効果を生ずるという関係も、供託の手続面との関係ではなお実体的効果である)。このような法律効果は供託の原因を定める法規が、同時にその供託によつていかなる法律効果が付されるかを定めることによつて生ずるものである。すなわちまさに供託実体法というべき法規(民事訴訟法に対する民事実体法の関係と同様である)の定めるところにより当然に生ずる効果であると解するのが相当である。この法律効果が、供託の多様性に応じて種々雑多であることは前に述べたところである。従来供託について供託所、供託者、被供託者の法律関係を三面的な関係として一きよに説明しようとする説があり、そのために第三者のためにする契約という形態がこゝに適用された。しかしながら、すでに説明したように供託の法律関係である、供託所と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係と、供託を一の法律要件として生ずる法律効果とは別個のものであり、しかも後者は供託の原因の多様性に応じて種々雑多であるから、右のような三面的な関係は一定の性質を有しないことになる。供託の法律関係を供託の手続面であるとし供託を一の法律要件として生ずる法律効果の面を供託の実体面とし、後者はいわゆる供託実体法の定めるところであるということは決して無内容な説明ではない。供託は一般的には法律秩序の維持、安定を窮極の目的とするといつても、種々の供託について目的とされる具体的なものはあるいは公法上の効果の発生でありあるいは私法上の効果の発生である。特定の供託について、法が具体的に目的とする法律効果発生のために供託の原因を規定したのであるとすれば、これによつて生ずる具体的な法律効果は、まさにその法が目的とするところに応じて当然に生ずるものである。特定の供託がなされた場合(たとえば弁済代用の供託)、なにゆえに特定の法律効果が生じるか(たとえば債務消滅の効果)は、供託所、供託者、被供託者の三者間にどのような法律関係が生じるかということの結果としてではなく、法が特定の供託についてなにを具体的に目的としたかということをたずねることによつて定まる。

(2)  還付、あるいは取戻請求権の譲渡等の可能性の問題について

供託の法律関係を公法上の法律関係であるとすれば、被供託者が供託物に対して有する還付請求権、供託者が供託物に対して有する取戻請求権は公法上の権利であるということになる。しかしながら、公権であるから移転性を欠くとはいえない。たゞ、一般に公権は一身専属的な性質を有する場合が多く、したがつて移転性を欠く場合が多いであろうが、公権であつても、公益的な見地よりもむしろ経済的な価値を主眼として把握されうるものは一身専属性を有しないと解されるから例外的に移転性を認めてよい。供託物に対する還付あるいは取戻請求権は、経済的な価値を主眼とするものであるから、これを譲渡し、差し押え、また質入することができる。その方法は通常の私法上の請求権の場合と同様であつてよい。

(3)  余論

従来、供託の法律関係は公法上の法律関係であるとの見解に対しては、(1) 損害賠償の途がないこと、(2) 不当な公権力の行使がなされた場合に救済方法がないこと、を理由とする反論があつた。しかし右の(1) の点は国家賠償法により公権力の違法な行使による損害の賠償を請求する途が開かれたし、(2) の点は、すべての行政処分について、違法を主張してその取消を主張することができることになつたので右の反論は現在では全くその価値を失つていることを附加しておく。

三、私法説への批判

以上に供託の法律関係は公法上の法律関係であることを説明したのであるが、従来わが国においては供託の本質をもつて私法的なものとして把握する説が多く行なわれており、むしろこれが通説であるとも思われるので、ここで一応私法説について検討を加えておく必要があろう(なお、公法関係説のなかにも非訟事件手続説、営造物利用関係説などがあるが、本件訴が適法であるかどうかを判断するにあたつては、公法関係説をとる限り、その細部の理論構成の差異によつて結論が異なるわけではないので、-理論的な興味はともかく-検討を省略する)。

(一)  私法説は、供託をもつて第三者のためにする契約を含む寄託契約であるとするもので、細部においてニユアンスを異にするものもあるが、大綱においては一致している。

私法説に対してはまず第一にそれが供託の法律関係、すなわち一般に供託がなされる場合、供託所と供託者および被供託者との間に生ずる供託それ自体の内容としての法律関係と、供託を一の要件としてそれに付される法律効果の問題とを明確に区別せず、これを混同していることに批判が向けられなければならない。このことは、私法説が、供託所、供託者、被供託者の三面的な関係を、第三者(被供託者)のためにする契約を含む寄託契約(供託所と供託者との間の)関係であるとして、同一の平面にある法律関係をもつて説明するところからも窺えるところである。したがつてまた、私法説は、供託の法律関係について論じる場合に、常に供託を一の要件として生ずる法律効果の問題を論じ、これが供託の法律関係であるという論理構成をとる。しかも私法説の説くところはほとんど弁済代用の供託の範囲を出ない。私法説はまずその出発点においてすでに論理的な誤りを犯しているのであつておよそ一般に供託がなされる場合に、供託所と供託者および被供託者との間に生ずる法律関係を説明するには全く無力である。私法説のように、弁済代用の供託が債務の消滅の効果-私法上の効果-を生ずるのはなぜかということから出発し、これに関連して供託の法律関係を説明し、それは私法関係であるというのであれば、民訴第五一三条の担保のための供託については、それが強制執行開始の一要件を充足する効果-公法上の効果-を生ずることから出発すれば、それは公法上の法律関係であるということになり、結局、供託原因の多様性に応じて、供託の法律関係も多様であるという結論にならざるをえないであろう。しかしそのように供託の多様性に応じて供託の法律関係も多様であるというのであれば、これはすでに、供託のなされる原因にかゝわらず、およそ一般に供託がなされる場合の供託自体の内容たる法律関係とは別個のものになつてしまつているといわなければならない。供託の法律関係は、供託を一の法律要件として生ずる法律効果の問題とは截然区別し、供託手続を規整する法規(すなわち供託法、供託規則等)のみを検討することによつて考察されなければならないのであるが、私法説にはこのような検討考察の跡も窺われないのである。

(二)  弁済代用の供託に限つて考えてみても私法説はきわめて疑問が多い。

(1)  供託官吏等が、供託の申請等の受理ないしは却下するにつき、自由意思に基づいて行為することはできず、供託の申請等が適法(形式的に)である限りこれを受理しなければならないし、不適法であれば却下しなければならないということが私法説をとつた場合、契約自由-内容の自由でなく締結の自由-の原則と矛盾しないであろうか。

(2)  供託官吏の処分に対する異議申立権の発生をどう説明するのであろうか。

(3)  供託の場合に限つて第三者の受益の意思表示を要しないとすることは私法の原則と矛盾しないであろうか。弁済代用の供託は債権者が受領を拒絶するからこそ行なわれる、という場合が多い。これは第三者である債権者が受益の意思表示を積極的に否定している場合である。なんびとといえども自からの意思に反してまで利益を強制されることはない。債権者において受益の意思表示をするかしないか態度を明らかにしない場合、少なくとも積極的に受益の意思表示を拒絶することはしない場合はまだよい。債権者がこれを拒絶することを明確にした場合にまで、債権者の意思に反して利益(はたして常に利益であろうか)を強制できるという結論は私法の原則に反し、どこからもでてこないように思われる。私法説をとる者も一般に第三者のためにする契約のあつた場合、第三者が受益の意思表示を拒否したときにもなお利益を強制できるとはおそらくいわないであろう。それにもかかわらず供託の場合に限つてなにゆえに受益の意思表示が不要であり、強制的にでも利益を受けさせることができるのであろうか。この根拠はなにも明らかにされていない。

以上のように、私法説、ことに第三者のためにする契約を含む寄託契約説はきわめて多くの疑問があつてとうてい採用し難いところである。

(三)  さらに、私法説は、倉庫営業者等が供託を掌ることもあることを自説の一根拠とするようであるから、最後に一言ふれる。

倉庫業者等が供託を掌るということは、供託の法律関係の性質決定には決定的な標準ではない。私法説が、国家機関たる供託所(狭義の)が供託を掌る場合にも、国家機関は私法的な契約の当事者と理解するのと同様に、倉庫業者等が供託を掌る場合には、国家機関として行動すると理解することが不可能ではないからである(本件においては争点を判断するに当つて直接の関係はないので、立ち入ることを省略した。こゝでは、右のように解する余地があることを指摘するに止める)。供託が実生活上大部分金銭および有価証券の供託であり、この意味で、供託は原則として供託所(狭義の)すなわち国家機関が掌るのである。倉庫業者等はあくまでも補助的、例外的な供託事務官掌者である。この点からいつても、例外的な倉庫業者等を意識する余り、公法説を批難するのはあたらないというべきである。歴吏的に見ても古くは私人、寺院、銀行が主として供託を掌つたが、近代国家の成立による国家権力の増大につれて、供託は次第に国家機関の掌るところとなり、現在に至つている。これはあたかも民事訴訟制度の発達の過程に近似する。供託制度は法的秩序の安定維持、を目的とするものであり、社会公共の利益から要求されるものとして、その設営が国家の任務とされるということが、右のような歴吏的な供託制度の発展の跡をふり返つて導かれる結論であるといつても過言ではないであろう。供託手続は、むしろ国家機関によつて行なわれるべきものとしての過程を歩んでいるといつてよい。

四、結論

以上説明したように、供託の法律関係は公法関係であると解すべきであるから、原告が被告である国に直接供託金の支払を請求する本訴は不適法といわなければならない。すなわち原告の供託金取戻請求に対して供託官吏がこれを却下した(当事者間に争いがない)のは一の行政処分と解すべきでありしたがつて供託法第一条の三によつて原告は異議の申立をなしてまず行政的な救済を求めたうえで、なお不服があればその処分の取消の訴としての抗告訴訟を提起できるのであるから、本件のように被告国に直接給付訴訟を提起することは許されないと解すべきである。なお原告は「右条文は「異議の申立をなすことを得」とあるから異議の申立をしなければならないという趣旨ではない」と主張しているが、抗告訴訟として訴えなければならないものである以上異議申立を経由しなければならないことはいうまでもない(行政事件訴訟特例法第二条)。原告の主張は採用できない。

よつて原告の訴を不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)

目録

供託者   供託金額        供託番号

池田勇   一五、一二〇円 昭和三二年 金第二四六三六号

段中美恵子 一六、八〇〇円  〃    〃 二四六三五号

中野太嘉治  八、〇〇〇円  〃    〃 二四六三四号

木村きみ子 一一、〇〇〇円  〃    〃 二四六三三号

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